株式会社AWコンサルティング
代表取締役
渡邉 篤史(わたなべ あつし)
- 国際公認経営コンサルティング協議会 公認経営コンサルタント
- 公益社団法人全日本能率連盟 認定 マスター・マネジメント・コンサルタント
- 日本マーケティング学会 会員
- 組織学会 準会員
- 大学卒業後、国内大手「組織・人材コンサルタント会社」にて10年(営業拠点責任者、新規事業チームリーダー、コンサルタント部門)
- ICT業界の事業会社(営業改革室長)4年
- ベンチャーのコンサルティング会社にて6年(創業より参画。役員、営業部門責任者、コンサルタント部門責任者)
- 2016年5月に株式会社AWコンサルティングを設立し、今日に至る
個人的プロフィール
- 岐阜県出身
- ライフワーク 剣道(剣道練士六段)
- 特技 宴会芸
- 趣味 ピアノ
キャリアの出発点 営業所長として最低レコード→最高レコード達成までの苦悩
私のキャリアは「営業して稼ぐ!」これが出発点でした。
大学を卒業して入社した国内系大手コンサルタント会社では、飛び込み営業からキャリアをスタートしました。ナイーブな性格の私は入社して早々、慣れない仕事で凹んで悩んだ時期もありましたが、この仕事が好きだったことに加えて、お客様や会社の仲間にも恵まれ、全社営業の売上ランキングでトップを記録することができました。
社会人6年目から営業所長を拝命して営業マネジメントを経験しました。とはいえ、拝命した後はイバラの道で歴代最低レコードを出してしまってクビを覚悟した時期もありました。数字のプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、自分のことだけでなく、拠点運営やメンバーの育成など必死に向き合いました。いま思えば、もっと要領のよいやり方もあったのだろうと思いますけれど(笑)、ひとつひとつ自分の考え方とやり方を試さないと納得できない性分ですので要領が悪く、時間もかかったと思います。
しかし最終的には、歴代最高レコードを記録するなど好業績を残すことができました。
また、この時期は特に「お客さん目線」に立って葛藤することが多かったです。お客様への共感を重んじていた私は、客先で約束してきたことを実施側のコンサルタント部門に持っていくと嫌がられることが多かったのです。
自分としては決してお客様と無理な約束をしたつもりは無かったのですが、仕事を引き受けるコンサルタント側からするとリスクがあるように感じられていたのでしょう。
プロダクト・アウトであるべきか?マーケット・インであるべきか?キャリアを能動的に考えるなら転職してもよかったのかもしれませんが、在籍していた会社が大好きだった私は辞めるという選択をせず、心のどこかで悶々としていた思い出があります。
このように悩みながら成果も上げた営業キャリアでしたが、その経験が現在のコンサルティング・サービスの糧になっています。人は理屈通りに動きませんし、悩みながら成長するものだと思っています。
経営参謀としての新商品開発、プロモーション、営業強化、人材マネジメントなど事業全体を見渡すための視点を学ぶ
一つの転機は社会人10年目の時の異動でした。
コンサルタント部門に移籍し、資本関係のあるIT企業に出向しました。出向した会社は、取引先との難しい問題を抱えていて、2~3年のうちに大変革をしなければならないという状況でした。このときのミッションは、営業改革室長というポストで経営陣のサポートをすることでした。
しかし、その業務は広範で、新商品開発、製品プロモーション、アライアンスパートナーとの協業、赤字事業部の立て直し、組織セールスの推進、全社の人材マネジメント施策の検討と展開、ユーザー会活動など、事業全体を考えて企画立案や施策実行をしなければなりませんでした。
一人の営業という役割ではなく、経営参謀として「市場・顧客と事業全体のつながりを考える」という経験は現在のコンサルティング活動に大きく生きています。
また、施策を進める過程で出向先の取引先からコンサルティングの仕事が受注できたこともあったのですが、それまでにない新しい内容の仕事が多く、専門としているコンサルタントがいないので結局、自分で実施するしかありませんでした。これは大変でしたが、マーケット・インの発想でコンサルタントとして自由に問題解決ができる喜びを覚えたのは、この頃からだったと思います。
この時期に生まれた新商材の中には成功したサービスもありました。新商材がけっこう独創的で競争優位性もあり、お客様から好評価を得てリピートを重ねる姿を見て、新商品開発の醍醐味を味わったことも現在のコンサルティングの基盤になっています。
そして、4年間の在籍期間中で業績回復や事業存続に成功し、帰任することが出来ました。
こう書くと華々しいキャリアに聞こえるかもしれませんが途中はドタバタでしたし、格好の悪いこともたくさんありました。それ以上に、なにより頑張ったのは出向先の当事者の皆さんであって、私はサポートする立場でした。コンサルタントはあくまで黒子役だと思います。
インキュベーションに挑戦!新規事業を立ち上げる難しさを知る
社会人14年目。 本籍の会社に戻り、HR-Techの新規事業立ち上げのリーダーを拝命しました。
準備は順調に進み、なんとか事業が立ち上がって受注も取れ始めました。しかし、拡販に力を入れようとしたタイミングで諸事情によって新規事業は中止になってしまいました。
新規事業や新商品開発は「世の中のニーズに応える新しい商材を生み出す難しさ」がありますが、それだけでなく事業創造の壁は社内にもあることを身をもって痛感しました。世の中、新規事業でこういったケースは非常によくある話であり、これも現在のコンサルタント活動の血肉になっています。
コンサル会社の立ち上げに参画。命がけの営業活動で5期連続の増収増益を達成
この時期に心機一転する!と決断して大好きだった会社を退職し、新たな経営コンサルタント会社の立ち上げに参画することにしました。「創業に挑戦したい!」という思いが強くなったからです。
しかしながら実際のところ、創業こそ営業活動が必須です。なぜなら創業とは、ブランドも、顧客資産も、売上も無い状態からスタートするからです。
それこそ命がけの営業活動でした。
幸いお客様にも恵まれ、売り上げも社員も増えて会社はなんとか立ち上がりましたが、創業には実にいろいろな難しさがあります。創業してまもない企業活動は不安定ですから様々な問題が起きてきますし、それらを乗り越え、共通ビジョンに向けて運営体制をつくることが事業の持続性に大きく影響します。
5期連続の増収増益を見届け、次のステージに活動を移すことにしました。
二度目の創業 失敗と成功両方の経験を活かしクライアントの稼ぐ力をヨコからサポートする
そして二度目の創業が、株式会社AWコンサルティングです。
事業活動の成果は「マーケティング」の巧拙で大きく左右されます。
そして、その源は「人の力」と「人を活かす環境=組織」です。
この先、さらに世の中のデジタル化が進展すると「人にしかできない活動」のクオリティがビジネスの決定的な差を創り出すでしょう。
一方で、人の生産性は機械のように改善できません。
私は、自分が悩みながら成功と失敗の両方の体験を積んでキャリアを重ねてきたことによって「コンサルタントの正論だけでは、組織も人も動かない。重要なのはヨコから目線のサポート」という実感を強く持っています。
そのお陰様で長いご縁になるクライアント様に恵まれております。
これまでの実績【例】
- 東日本電信電話株式会社
- 西日本電信電話株式会社
- 株式会社NTTドコモ
- 株式会社エルテックス
- 東芝ビジネスエキスパート株式会社
- パナソニック株式会社
- 富士通株式会社
- 株式会社日立アカデミー
- 株式会社日立ソリューションズ
- ハウス食品株式会社
- 日本デルモンテ株式会社
- 武田薬品工業株式会社
- 相模ゴム工業株式会社
- 株式会社エディオン
- 本田技研工業株式会社
- マツダ株式会社 他
業種別実績【例】
- 生産財メーカー A社
- 売上150億円、従業員数250名
- 産業用設備メーカー B社
- 売上1000億円、従業員数1400名
- エレクトロニクスメーカー C社
- 売上1.5兆円、従業員数77,000名
- IT業界 D社
- 売上600億円、従業員数700名
- IT業界 E社
- 売上24億円、従業員数110名
- 医療サービス F社
- 売上 2500億、従業員数 2200名
※守秘義務の関係により社名は伏せております。