20年間の指示待ち体質が、1年で変わった ― ある大手メーカー 東南アジア拠点の物語

業種:大手メーカー
対象:東南アジア現地法人(従業員数百名規模)
テーマ:現地スタッフ主導の経営体制への移行

「口にしてはいけないことだと、ずっと思っていました」

ある大手メーカーの東南アジア拠点。創業から約20年、この現地法人は同国の経済成長の波に乗り、順調な発展を遂げてきた。しかし、コロナ禍を境に売上は横ばいに転じ、収益性も低下。市場が成長期から成熟期へ移行する中、事業戦略の方向転換を迫られていた。

経営課題は、事業戦略だけではなかった。この拠点には、より根深い組織の課題があった。

20年間、経営の舵取りを担ってきたのは日本人駐在員だった。急成長期にはトップダウン型のリーダーシップが機能したが、その結果、現地スタッフには指示待ちの姿勢が常態化していた。日本人が判断しなければ物事が動かない。製造、販売、管理の各部門間のチームワークも乏しい。「現地スタッフに主体的な経営は無理ではないか」という諦めの声すら聞かれるようになっていた。

この状況を変えなければ、成熟する市場に対応する力は生まれない。10年後を見据えた長期ビジョンの策定を通じて、現地スタッフの主体性を引き出し、組織全体の行動変容を促す取り組みが始まった。

まず、声を聞くことから始めた

取り組みの出発点は、従業員の声を聞くことだった。

プロジェクトメンバーとなる現地スタッフの上級マネジャー層と日本人駐在員、合計15名への個別ヒアリング。それと並行して、全社員を対象にしたアンケート調査。会社に対する評価と要望を、一人ひとりの言葉として集めた。

見えてきたのは、意外な風景だった。

従業員の多くは、これまでの会社の業績に誇りを持ち、高いロイヤリティを示していた。しかし同時に、未来への不安と閉塞感を強く感じていた。現状を打破したいと思っている。しかし会社の未来像が見えないためにフラストレーションを抱えている。「指示待ち」に見えていた現地スタッフの内側には、行き場のないエネルギーが溜まっていたのである。

最初の変化は、「言葉にした瞬間」に起きた

プロジェクトの初回ミーティング。冒頭で、事前に集めた声のサマリーがフィードバックされた。

現地スタッフのネガティブなコメントが多く見られたこと。もっと当事者として問題意識を行動に移す必要があること。同時に、日本人スタッフのリーダーシップにも課題があり、「使う側」と「使われる側」という意識の断絶があること。日本本社の意思決定や情報をより透明化し、現地スタッフと共に未来を創るリーダーシップへの転換が求められること。

率直な指摘だった。しかしこのフィードバックが、最初の転換点になった。

ミーティング後の懇親会で、20年間勤続してきた現地スタッフの一人が、声を詰まらせながらこう語った。

「今日は感動しました。私は20年間この会社で働いてきて、ずっと感じていた矛盾がありました。でも、口にしてはいけないことだと思っていた。それを今日、そのまま言葉にして『問題だ』と言ってくれた。あれは私たちみんなが思っていたことです。この取り組みで変えられるなら、ぜひやり遂げたいです。」

同様の声が他のメンバーからも上がった。全員の目が輝いていた。20年間蓋をされていた「本音」が、初めて組織の中で居場所を得た瞬間だった。

1年間の対話が、組織を変えていった

この日を起点に、2カ月に1回のワークショップが始まった。プロジェクトメンバーがワークショップで議論し、検討結果を自分の職場に持ち帰って共有する。職場から出た意見を、次のワークショップで取り上げてさらに議論する。このサイクルが約1年間続いた。

この過程で、プロジェクトメンバーの姿勢が目に見えて変わっていった。最初は遠慮がちだった発言が、回を重ねるごとに熱を帯び、具体性を増していった。自分たちの会社の未来を、自分たちの言葉で語り始めたのである。

約1年の取り組みを経て、長期ビジョン、ミッション、バリューが策定された。これらは三つの頭文字を取ってMVVと呼ばれ、プロジェクトメンバーの手で全社に届けられることになった。

MVVソングが生まれた日

MVVの浸透活動は、プロジェクトメンバーの発案で進められた。指示されたのではない。自分たちで考え、自分たちで動いたのである。

全社員参加型の社内イベントが開催され、MVVに対してどう取り組むかを全員で議論する場が設けられた。コーポレートカラーで彩られた巨大パネルが制作され、全社員が直筆でサインと抱負を書き込み、本社工場のエントランスに設置された。

そして、この取り組みを最も象徴するのが、MVVソングの誕生だった。プロジェクトメンバーの発案で、専門の制作会社に依頼。プロのアーティストによる作詞・作曲・歌唱でレコーディングされた本格的な楽曲が完成した。昼休みにMVVソングが流れ、カラオケ・コンテストが開催され、浸透活動は大いに盛り上がった。

まじめな学習から楽しいイベントまで。このバラエティ豊かな取り組みのすべてが、かつて「指示待ち」と言われていた人々の主体性から生まれたものだった。

メンバーの声 ― 1年後に生まれた言葉

約1年間の取り組みを終えた時点で、プロジェクトメンバーからはこんな言葉が聞かれた。

「一緒にMVVを話し合って作り上げることができて嬉しかった。」

「自社の現状、課題、ありたい姿について理解を深め、認識を共有できた。」

「自分たちがリーダーとして何をすべきか、職場のメンバーがどんな人たちなのかを知る良い機会になった。」

そして、未来に向けた言葉も生まれていた。

「みんなのMVVへの意識を高め、戦略策定をリードし、全員が同じ気持ちで行動できるようにしたい。」

「メンバー全員のロールモデルになりたい。」

「よきリーダーとして、仲間が成長できる環境を整えたい。」

「チーム内で新たなリーダーを育てて、会社の業績に貢献したい。」

これらの言葉は、誰かに言わされたものではない。1年間の対話と実践の中から、一人ひとりの内側に自然に芽生えた意志である。

この事例が示すもの

20年間、日本人駐在員の指示のもとで働いてきた組織と人材。その方向転換は、制度を変えるだけでは実現しなかった。表面的な研修やルールの変更では、人の意識は変わらなかった。

変化の起点になったのは、まず声を聞くことだった。そして、20年間口にできなかった本音が言葉になった瞬間、組織の中にエネルギーが生まれた。そのエネルギーを、1年間の対話と実践のプロセスの中で、MVVという形あるものに結実させていった。

国が違えば言語も文化も異なる。しかし、働く人や組織の本質は、国境を越えても変わらない。人が当事者意識を取り戻すのは、自分の声が聞かれ、自分の判断で動き、その手応えを実感できたとき。それは日本でも、東南アジアでも、どこでも同じである。

この現地法人では、かつて「指示待ち」と言われた人々が、自らビジョンを描き、自ら浸透活動を発案し、自ら組織を動かし始めた。MVVソングを作ろうと言い出した人々は、1年前には「言われたことをやる」しかなかった人々と同一人物である。変わったのは、能力ではない。関係性と、その関係性の中で生まれた当事者意識である。